こんなことを皆さんとやってみたいです(心療部)
今朝ニュースで位置情報共有アプリが10代〜20代の若者に流行しているという話題を耳にした。
流行の理由についてインタビューを受けていた青年は、「(メッセージアプリで)既読がつかなくても、相手がどこにいるか把握できれば安心だし声も掛けやすい」、「(相手が)移動中だったりすると、親と車に乗っているかもしれないから、声を掛けないようにしようとか、察するのが大事」と。
なるほど便利なアプリがあるものね、と思った次第。
このアプリ、流行のキーワードは「効率性」と「察する」ということらしい。たしかに、相手の返答をまたずに時間を有効活用できるし、察することで相手を煩わせないという気遣いによって無用な軋轢をあらかじめ回避できる。しかし、こういう便利な話をきくと、いつももう一つの側面が気になってくるのが心理士の悲しい性分。確かにメッセージを送信して返信がないと、あれこれと考えて気をもむ。これって「効率的」でない。「察する」ことができないと、叱られたり、断られたり、他者との間で波風が立つこともある。一方で、気をもむとか、他者とのあいだで波風が立つとか、実に人間的な営みだと思ったりもする。気をもんでいるときは、相手のことを想像したり、自分を振り返って反省したり。波風がたつと、他者と自分の違いを痛感したり、怒りを覚えることもあれば、かえって深い理解が得られたり、いずれにしてもガラガラポンで何が出てくるか分からない。
私たちは、しばしば非効率でスマートでない自分を責めてしまったり、察するということをやりすぎて、自分を見失ったり、苦しくなったりする。そういえば、桜井和寿も「終わりなき旅」で歌っていた。“閉ざされたドアの向こうに新しい何かがまっている、いいことばかりではないさ、でも次の扉をノックしよう”。私の「こんなことを皆さんとしてみたいです」は、非効率で波風がたつかもしれないけど、新しい何かがまっている心のドアをノックしてみること。一緒に心の冒険に出発してみましょう!
臨床心理士 佐野翼