「楽しむ」(心療部)
今回のコラムは「楽しむ」というテーマで、心療部からお届けします。
私が子どもだった頃から比較すると、“エンターテインメント”が現在は様々なコンテンツにあふれていて、本当に驚かされます。
かつてアニメといえば、学校から帰るとテレビで放映されている使い古されたドラゴンボールやハウス世界名作劇場の再放送を眺めるくらいでしたし、ライブといえばアイドルや歌謡曲くらいしか身近にはありませんでした。スポーツといえば大半は野球かサッカー、みんなが同じアニメを見て、同じ音楽を聴き、同じスポーツを楽しんでいました。現在のようにエンターテインメントに大量の選択肢があると、限られた時間のなかで“楽しむ”とういうより“消費する”ことに忙しくなってしまうように感じられるのは私だけでしょうか。
先日、とある自転車屋さんの店長と話をしていたところ、「楽しむ」という話題になりました。
まだ若い店長は、「最近、ボク、興味があるのは、いかに1杯のビールをおいしく飲むかなんです!」と彼の楽しみについて話してくれました。すべては至高の黄金色のドリンク一杯のために。数多のコンビニおつまみを試してみたそうです。居酒屋、レストラン、ビアホール、山の頂上、いろいろと場所をかえて、飲んでみたそうです。クラフトビールなど、そもそもビールの銘柄自体に着目して試行錯誤してもみたそうです。「結局これまでで一番おいしいビールって何だったと思いますか?」と彼は問いかけてきました。私が答えに迷っていると、「松屋のビールなんですよ」と腑に落ちない一撃をしたり顔で繰り出したダルシム似の店長。「え?松屋??」混乱する私に、「連休のほんとにやばい時期(一般的に連休の晴れの日は自転車店は超忙しいらしい)に、夜中まで作業して、ぼろぼろになって、帰りに立ち寄った松屋で、牛皿つまみに飲むビールなんですよ。」これには合点がいきました。
この若い店長が、試行錯誤の旅路の果てにたどり着いた答えは、「楽しむ」は、それ単体では存在できないという当たり前の事実なのかもしれません。それは、「楽しむ」は、ちょうどその裏側にある「苦しむ」とか「哀しむ」と分かちがたく融合しているという事実です。「苦しむ」や「哀しむ」に裏打ちされていない「楽しむ」はどこか表面的で、幻のようで、消費されて、通りすぎて、私たちの心の中に爪痕を残さないのかもしれません。そんなふうに考えると、実際のところ「楽しむ」ために大切なのは、案外、一見ネガティブな苦しみや哀しみのほうを過度に恐れることなく、味わい尽くす力なのかも知れません。
Don’t worry, Let’s enjoy !
心療部 臨床心理士 佐野翼