「楽しむ」(心療部)

2024.03.01

今回のコラムは「楽しむ」というテーマで、心療部からお届けします。

実は、心理職としてカウンセリングなどでクライエントとお会いしていると「楽しんでますか?」とか、「あなたの楽しみは何ですか?」など、ほとんど尋ねた記憶がないですし、「それは楽しかったですね」などと言葉を添えることもないのです。それは、いったいなぜなのでしょう?「楽しい」という言葉そのものが纏う雰囲気には“楽しいことは良いことだ”のようなどこか有無をいわさぬ価値判断があるように思えてしまうのです。それ故、クライエント、セラピストの双方にとって、窮屈でどこか野暮ったく感じられるのかもしれません。実際、前回のコラムで私が文末に”Let’s enjoy”と付け加えたら、ある人から「あそこはダサい」といわれました。悔しいから、反論するわけではないですが、この“enjoy”、実は今回のコラムのキーワードです。英語のenjoyは古フランス語のjoieを語源とします。さらにフランス語にはjoindreという単語があるのですが、これは「結合する」とか「繋がる」という英語のjoinの元になっています。つまり、楽しむ“enjoy”は、結合する、繋がる”join”と関連があるんだろうなというのが私の推測。そこで、そもそも本邦の「楽」という漢字の語源を調べてみると、神様に捧げる音楽を奏でる際に使用した木の枝とどんぐりを結びつけた楽器を表す文字なのだそう。つまり、「楽」は、人間が神様と繋がる儀式に用いる道具だったというわけです。

そのように考えると、同僚の一人と話したエピソードが思い出されます。このコラム執筆にあたり、「楽しむ」を話題にしたときのことです。プライベートで子育てに膨大な時間を費やしているその同僚は、「え?楽しむ?自分の時間が自由ってことでしょ。そうしたら、もう、しきじ(サウナの聖地)とか、自分の好きなときにいっちゃってもいいんでしょ。それは楽しいでしょう」と遠い目をして語っていました。彼は、父親として、家族とフルコミットしていますが、自由な時間を手に入れたら、自分自身と繋がるのを「楽しみたい」と語っているように感じられました。来る日も来る日も新宿のオフィスで働く友人のひとりは、毎週末、山に出かけます。彼は、普段は失われている自然との繋がりを回復しているのでしょう。「楽しむ」ことには、普段絶たれてしまっているものとの繋がりを回復する営みが含まれているように思われます。私自身も、日々の業務の中でクライエントと繋がることができたという瞬間が訪れると、この仕事も難しいことばかりでなく「楽しい」ことでもあるのかもしれないと思えることがあります。普段、心ならずも繋がりを絶たれているもの、それは友人かもしれないし、地域社会かも知れない、若き日の思い出かもしれませんし、自然かもしれません。それらとの繋がりを回復させるところに「楽しむ」ことのヒントが隠されていそうです。

心療部 臨床心理士 佐野翼