「繋がる」(メディカルサポートセンター)

2024.06.01

「繋がる をテーマに何か書いて下さい」ということでしたが、実は今書いているものは2回目のものであり、これとは別で出来上がっていたコラムがありました。それを投稿していいかのチェックをある方にお願いした所、いいですねとOKを頂きました。が、あなたらしい文章ですね等、褒められていくうちに「やばい」という気持ちになりました。それはなぜか、と言いますと、その原稿というのが、私が某AIチャットにて『「繋がる」をテーマにコラムをかいて』と入力して出てきたものだったためです。(もちろんすぐに種明かしをしましたが)

 今後AIが発展していく、世の中が便利になっていくことを考えていった場合、仕事の面で私自身が想像しやすい部分で言えば、普段行っている面談などは、オンライン面談みたいなものが可能になるのではないかという点です。それは便利なことのように思う反面、目の前に相手の人が実際に存在する場合に得られる情報量と、画面越しに対面している場合の情報量、どちらが多いかというと、私の場合は圧倒的に前者となりそうです。それは今後映像の技術の革新が起こったりしたとしてもそのように感じるのではないかと思っています。説明は難しいのであえて「なんとなく」という言葉で済ませますが。

 AIが作った文章を自分も読んでみたのですが、確かによくできていると思うのです。が「なんとなく」違和感を覚えます。まるで他人事のような。これはおそらくAI自体がまだ人との繋がりを得られてないからでは と思いました。

 技術面で便利になった繋がり。様々な人が利用しているようなSNSを例に言えば、親指一つで いいね を送るか、実際に会って いいね と言うか、どちらが良いかと聞かれれば、理由はどうあれ後者を選ぶ人はまだ多いように思います。が、数年先にはこれが覆るのではという想像が、昨今の技術の進化を目の当たりにしていく上でありえないことではないという思いもあります。

 ですがAIが出してきた原稿には、【真の繋がりの重要性】といったような言葉が使われていました。AIの持つ知識というか情報は現段階ではあくまで人の考えから生み出されたものであるなら、この価値観がひっくり返ることはまだまだ先になりそう と言っているようにも感じます。

 ではAIの出力した原稿を見せた時の状況において、二人の間で起きていたことは何か、私の方からすれば、やばい!AIに乗っ取られる!ではなく、あれ自分AIぽいの?でもなく、単純に相手の人に対して「ありもしない私自身の思いや考え」について考察させ、相手の人の時間を無駄にしてしまうのは申し訳ない、という気持ちでした。相手の方からすると(これは想像ですが)AIの作った文章、その中に存在しないはずの私の考えのようなものを、その文章の中にあるということを(疑うことなく)想像している ということになるでしょうか。それがなぜ起こるかはそこにはAIが言うところの「真の繋がり」があるからこそなのではと思いました。

 AIが出力した原稿はたった数秒、今書いている原稿に要している数時間。効率で言えば圧倒的に前者になるわけですが。

今回このテーマについて考えてみて、『繋がる』のようなことは効率で考えるよりは、「なんとなく」や「○○っぽい」「○○かも」「でも」「だけど」のような、非効率的・非合理的な感じで、多少の「やばさ」みたいなものを感じながらだらだら、ぐだぐだ と作っていく方が実は効率的なのでは と思いました。

繋がりとかめんどくさい。それもまた有でしょう。めんどくさい部分もあります。ただ私のように「めんどくさい」と思ってAIに任せた結果新しい発見を得ることもあります。

色々とだらだら書いてきましたが、便利になっていくことを否定しているわけではありません。繋がりに関していえば、どこまで便利にするか、それと同時にある程度の不便さを残していった方が面白いような気がします。また今はまだそれを自分で選択できる時代であることが、ある種の幸運なのかなと思ったりもしています。

 

AIが何を書いてきたか気になった人は 繋がるをテーマにコラムを書いて と聞いてみるといいと思います。

 

メディカルサポートセンター 楠本